2011年12月5日月曜日

本日の月例会議なり


今日、毎月第一日曜日にやっている養蜂委員会の定例会議がありました。参加者はメンバー4人、自分、犬2匹、牛3頭、鶏多数。そして足元には牛糞。最近、ひねり出されたばかりの牛糞を見ると、ミミズ堆肥のために持ち帰りたい衝動にかられるのは気のせい?

と冗談はほどほどにして、会議の8割は現地語グアラニー語で行われるのですが、たいてい、最近のそれぞれの巣箱の状態に関してのカジュアルなトークから始まります。毎回、もちろん自分からの提案をするわけですが、最初からでしゃばらずに様子見。

話は徐々に市役所からの資金調達に移り、そのために必要で、規則からさらに突っ込んだ委員会の法規を、来月の会議で決めることになりました。そして、委員会の運営資金の収支のチェックも。最近Facebookに夢中のうちの人(養蜂委員会の書記)がエクセルを学びたいと言っていたので、うまく管理をExcelに移項しよう。そして、経理と書記の二人で管理する流れに持っていこう。そもそも経理は信頼できても、一人で管理するのはリスク高いし。

その後、次回の講習会の話に移り、こちらから天気予報が雨のため、延期を通知。女王蜂再生に必要な空箱を、誰の箱を使うかを確認。講習会2日目はお昼に講習会終了のため、そのまま委員長の家で昼食会を開くことで合意。食事が出るから、普段来ない連中も来るぞ、と冗談が飛び交ってました。

講習会の回数も残りわずかとなってきて、技術講師と話せる機会も少なくなってきたので、現在抱えている問題をリストアップして、一つ一つしらみつぶしにしようかと提案。しかし、こういうのは簡単でもワークショップ形式にして、一人一人紙に書き、それを模造紙か何かにビジュアル化しないと、イマイチアウトプットが弱い。結局、個人個人で考えてきて、昼食会のときに、講師を質問攻めにすることに。

そして、市街地でのフェリア(直売)での製品の販売を提案。ぜんぜん、市街地まで販路を拡大する生産量ではないけど、将来的な宣伝の目的で、少量持っていくことで同意。

最後に、それぞれのメンバーの小口融資の返金残高を発表し、さらに収穫用のバケツ代金の未払いを指摘。返金残高に関しては、2月までに返金し、返金できないメンバーの機材はほかのメンバーが買い取って、返金に当てる、と心強い発言が出た。資金回収は、前職で徹底的にやったけど、あまり楽しいもんじゃないね。それ覚悟で融資を取り入れたんだけど。返金率はかなりいい。

個人的に現状の課題としては、天候の影響もあり、巣箱の状態があまりよくない。しかし、女王蜂が逃げてしまってる箱もあるので、世話の仕方に問題ありと推測し、初心に戻って、改めて生産者と巣箱管理をともにすることにしました。生産がうまくいっていないのに、組織力強化しても本末転倒なので。

今週は、講習会がなくなり、時間もあるので、7月に植林した苗がどのくらいの割合で根付いたかを、寄付した家庭を巡回して調べよう。

2011年11月4日金曜日

焼庭



午後、畑から家に戻ってくると、家のほうで煙が。近づいてみると、庭が燃えていました。といっても、こっちの田舎の庭は広いし、昨日トラクターで雑草刈りをしてたので、「ああ、刈った雑草を燃やしてるんだな」と思いました。なので安心して、温暖化や焼畑について考えながら、ゆっくり歩いてました。しかし、家のすぐそばまで来ると、若干、家主の弟とその奥さんが焦って、水撒いてるじゃないですか。どうやら、家主かその弟が雑草の処理をしようとして火をつけたところ、広がってしまった様子。そこで、あわてて消化活動に自分も参加。煙が半端なく、あやうく自分のバイクと洗濯した服がオンファイヤーになるところでしたが、なんとか鎮火。

 今朝、うちの猫は昨日刈られてしまった茂みを寂しそうに眺めていましたが、さらに火事で、その跡を眺める背中が、まるで跡形もなく遊び場を壊された子供のようでした。そして、振り返って、何が起こったのか尋ねるようにしてこちらを眺める。おら、知らん。ちなみに、その猫、ねずみよけという機能のためだけにうちの人は飼っているので、名前がありません。餌は与えられていますが。

2011年10月31日月曜日

パソコンの話

先週末、パソコンがフリーズしそうになり、自動的にシャットダウンするということが繰り返されたので、購入後初めて初期化をしようとしました。以前使ってたPCではけっこう何回も初期化してたので、時間が若干かかるくらいで、慣れたものでした。のはずでした。

自分の買ったPCは、海外のPCメーカーによくある、必要最低限のものしか付いてないし、入ってない格安のPCだったので、初期化用のDVDは自分で焼きました。外付けHDDにデータを全部移して、そのDVDを使ってBootして、初期化が始まりました。が、何度やっても50%のところで止まります。そして、初期化を始めてしまったので、Windowsの画面まで行かなくなり、PCのリカバリープログラムにも行き着きません。最初からPCに入っているリカバリープログラムを使えばよかったんですが、今となっては後の祭りです。

しかし、どうしてもPCが必要なタイミングだったので、安いネットブックを入手しました。日本に帰れば、スマホが当たり前で、立ち上がりに時間がかかり、使い勝手の悪いネットブックをどこまで使うかはわかりませんが、今すぐPCが必要なので仕方がない。ずっと2台目PCを持とうかな、と思ってたので、いいきっかけになったといえば、なったんですが。

今はネットブックを使いながら、なんとか使えなくなったPCの蘇生を試みています。といってもPCはそんなに詳しくないので、ネット掲示板に書き込んだり、PCに詳しい友達とスカイプしたり。そこで言われたのが、

PCに物理的な衝撃を与えたわけではないので、物理的に故障したとは考えずらい。初期化プロセスが止まっても、最低3,4時間は待つべき。

それでもだめな場合は、PCが論理的に壊れている可能性があるので、内臓HDDを取り出して、外付けHDDを分解して、その内臓HDDを他のPCにつなげて、物理フォーマットをしてみる。昔、PC内部のファンの掃除とかはよくしてたけど、内臓HDDをはずしたことはないので、ネットでよく調べよう。ネットで見てみると、自分の持っているコンパクト外付けHDDは特別なタイプで、SATAというインターフェイスを使わず、USBコネクターを使っているらしい。よくわからないけど、内臓HDDは通常SATAというインターフェイスを使っているので、これが外付けHDDにない場合は、外付けHDDケースとケーブルを買わないといけないらしい。うーむ。

それでもだめな場合は、外付けHDDにWindowsのイメージファイルを入れて、USBからBootしてみる。

なかなか大変そうだ。でも、まだ1年半くらいしか使ってなかったので、なんとか再生させたい。

2011年10月29日土曜日

時間銀行

素敵な記事だったので、マイミクのみねさんが友達から抜粋したのをさらに抜粋します。


【時間銀行】 

次のような銀行があると、考えてみましょう。 
その銀行は、 毎朝あなたの口座へ86,400ドルを振り込んでくれます。 
同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。 
つまり、86,400ドルの中で,あなたがその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまいます。 
あなただったらどうしますか。 
もちろん、毎日86400ドル全額を引き出しますよね。 

僕たちは一人一人が同じような銀行を持っています。 

それは時間です。 

毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。 
毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。 
それは、翌日に繰り越されません。 
それは貸し越しできません。 
毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。 
そして、毎晩、その日の残りは消されてしまいます。 
もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。 

過去にさかのぼることはできません。 
あなたは今日与えられた預金のなかから今を生きないといけません。 
だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。 
そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。 
時計の針は走り続けてます。今日という日に最大限の物を作り出しましょう。 

1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。 

1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしう。 

1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。 

1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。 

1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。 

1 秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。 

10分の1秒の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。 

だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。 

そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。 

その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。 
そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。 

明日は、まだわからないのです。 
今日は与えられるものです。 

だから、英語では今をプレゼント(=present)と言います。 

2011年10月21日金曜日

3匹の子豚

童謡に3匹の子豚という話があります。3兄弟の子豚がそれぞれワラの家、木の家、レンガの家を作り、狼が襲いに来て、レンガの家に逃げ込んだ3兄弟は助かって、めでたし、めでたし、という話。

この話からすると、まず、木の家よりレンガの家の方がいいということになります。なんで、小さい頃この童話を読んだ僕は、パラグアイの村に来た時も、レンガの家に住んでいる人の方が経済的に余裕があるから、よりいい家に住んでいるんだと思っていました。こちらでは、家も自分達で建てるので、だいたい出稼ぎから帰ってくると家を建てます。別に男の夢でもなく、30年ローンを組まなくても全然家建ちます。そして、新しい家はたいていレンガ造り。「あー、この家も経済的な余裕が出てきたんだな」と勝手に思ってました。

しかしながら、現実として、木の家の方がいいんです。まず、夏は通気性があり涼しい。一年の4分3くらいが暑いこの国では、冬の保温性よりも、夏の通気性の方が大事。加えて、木の家の方が長くもつ。ちゃんとした木を使っていれば40年前に建てた家が平気で原型をとどめて建っています。一方で、レンガの家は、地震がないといえども、大型トラックが通れば微細な振動が起こり、徐々にヒビが入ったりしてそんなにもたない。夏も暑い。じゃあ、なんでみんなレンガで家を建てるのかと言えば、国の環境規制のために、木を一本切るのにも役所の許可が必要なんです。そして、川沿いの50メートルの区間は完全伐採禁止。加えて、家具や家の柱に使われる丈夫な木は育つのが遅い。よって、木材の方が高いんです。だから、レンガを使わざるを得ない。

さらに3匹の子豚に関して、もの申すなら、子豚はうまい!大人の豚と比べてもジューシーで味もしまってる。パラグアイの人はお祝いの時なんかに食べます。単価も普通の豚より高い。だから、結論から言えば、狼がレンガの家に追い込んだ時点で、閉じ込めて、3匹ともおいしくいただきたい。まず、喉を掻っ切る。この時かなりエグイ鳴き方をするので、このときにかなり生について考える。そして、死んだら、木につるして、熱湯をかけて、ナイフで体毛をそぐ。細かい処理は、男には欠かせないGilletteを使います。別に4枚刃じゃなくていいけどね。その後、部位ごとに切って、最後は豪快に焼く。ちょっと時間かかるけど、マジうまい。というわけで、3匹の子豚さんご馳走様でした。

2011年10月8日土曜日

ハニー
















今日は雨。明日も雨。来週も中ごろまで雨らしい。雨が降ると村ではみんな引きこもる。学校も休み。雨降って休校とは何事だ、と最初は思っていたけど、この辺りの土、雨降るとつるつるすべり、けっこう危ない。大人でも気をつけて歩かないと転ぶ。場所によってはまるでスケートリンクなみに滑る。身近に一人はいる誰かさんのギャグみたいに滑る。

さて、それはいいとして、あいかわらず養蜂委員会の月例会議をしているわけですが、最近よくでる話題が二つ。まず、収穫所の建設費の支援を受ける事。去年使用した収穫所は、空き家を使って仮に準備したもの。そして、その空き家もずっと空き家というわけではないので、収穫所を建てないといけない。土地は確保できる見通しが立ち、あとは収穫所の設置。金かかります。たぶん、日本円で5~10万円くらい。これを最低半分くらいは市役所かどこかから引っ張ってこようという話。確かに自分達で100%負担するのはコミットメントとしては厳しい。そして、自分が金を引っ張ってこれないこともないけど、資金援助を中心になってやるのは自分の今の活動ポリシーに反するので、とりあえず様子見。今のところ市役所と県庁への組織登録認証は完了しました。あとは選挙のタイミング待ちか。こういうときに市長とお友達の人がいると心強いのだが。

そして、二つ目は、近郊都市(東市)の農協から融資を受けて、自分らの委員会を媒体にして集合的に販売を行うこと。分かりやすくいうと、養蜂委員会に資金をプールし、そのお金を使って、委員会が各生産者から収穫した蜂蜜を購入。その購入した蜂蜜を委員会として販売先へ卸すということ。さらに融資する農協がスーパーを持っていて、そこで農協の組合員は生産物を販売できる。東市はパラグアイ第二の都市なのでマーケットとしては申し分ない。自分は行きませんが。自分は行けませんが。そして、うちの委員会の会員の一人がその農協で書記をしているので、話が通りやすい。小口融資から初めて、徐々に融資枠を拡大していく、ということになるらしい。

と、ここまでの構想はエキサイティングなものだけど、それもこれも今年の収穫次第。生産量さえ確保できれば、蜂蜜は需要が堅調だし、保存が効くので、1トンくらいは販売に困る事はない。今年の収穫がうまくいけば、自分がいなくなった後も組織展開はスムーズにいくと踏む。

2011年10月5日水曜日

パラグアイの農地事情


















先月末に自分のいるイグアス日系移住地にて、土地無し農民による、日系大農家の畑の不法侵入及び座り込みがありました。ちょうど小麦や菜種の収穫が終わり、植え付けの真っ最中を狙った出来事でした。

パラグアイのニュースでも取り上げられたわけですが、このような事件はイグアス移住地では時々起こります。そもそも日系移住地というのは、第二次世界大戦後に日本政府が移住事業として、パラグアイ政府との合意の下、政府として土地を購入し、区画整理をしたのが始まりです。そこに日本で募った移住者や、元々ブラジルやパラグアイ国内の他の移住地にいた方々がやってきて、日本政府より土地を提供され、原始林の状態から徐々に開墾し、今に至るというわけです。入植当初は、すさまじい住環境だったと聞きますが、今年で移住地設立50周年を迎え、今では、パラグアイを世界で指折りの大豆輸出国にしたのは日系農家だ、と言われています。

一方で、周辺にはパラグアイ人の農家もいます。イグアス市の人口が約2万人弱らしく、そのうちいわゆる日系人というのは1000人いません。当然パラグアイ人が大部分を占めるわけですが、中には農村地区に住む農家で、土地を持たない人々もいます。元々は土地の所有者が明確でない時代に国道から奥地に入り、住居を構え、住むようになったとも言われています。土地がない農家は、周辺の土地を持つ農家に雇われて働いたり、都市部や外国へ出稼ぎに行くわけですが、中には、今回のような事件に関わる人々がいるわけです。

農業をやるには土地がなければどうしようもないわけですが、農地の問題というのは、パラグアイに限らず、どの国にも存在します。隣りのブラジルも同じような騒動がありますし、インドでも農地改革は繰り返し行われてきました。そして、日本も、第二次世界大戦後、農地改革により、寄生地主(土地を所有し、小作人に農業をさせる地主)から小作人へ土地の分配をしました。誰にとっても不平等にならないように土地を割り当てるのはほぼ不可能ですし、元々土地を持っていた人にしてみれば政府が買い上げるとは言え、納得がいかないし、そもそも農地を細分化すればする程、基本的には効率が下がり、全体としての生産量は下がる。外貨を稼ぐ以上に、食料自給率は国家の安全保障に関わるので、複雑な問題です。

パラグアイ国内で、このような農地の問題が深刻な社会問題となり、テロ活動が時々見られます。パラグアイ人民解放軍(EPP)といって、現政権の少数独裁政治と農地改革に対する不満を基に、マルクス・レーニン主義(簡単に言えば社会主義・一党独裁)を掲げ、現政権の打倒を狙って、パラグアイ北部で殺人を繰り返しています。パラグアイ国家警察によると、コロンビアのコロンビア革命軍というテロ組織とのつながりがあるそうです。といっても規模は小さくパラグアイメディアによるとメンバーは15人とのこと。

つい最近もそのEPPにより北部で警察官が殺害されました。そして、今週に入って北部コンセプシオン市の市長に脅迫状が届いています。EPPの活動が活発な北部の県では、アメリカ、韓国といった外国政府の援助活動はほとんど停止しています。

南米の中でも比較的犯罪が少なく、ラテンのノリというよりも穏やかな人が多い国ですが、農業が主産業であるパラグアイの複雑な社会問題です。

2011年9月29日木曜日

村の価値観


自分が住んでいる村は国道から離れていて、収入源が少ないので、赴任当初はとにかく収入源を増やそうという視点で活動を始めた。そして村の人と話をしていく中で、農畜産物を自家消費用に育て、余ったものを販売する、という人々が多いことに気付いた。「だって、売り過ぎて、自分たちの食べる分がなくなっちゃったら意味ないじゃん。」、という近所のおじいちゃんの言葉に、「うん、うん。その通りだね!」と答えながらも、(とりあえず金あれば、もっといろいろ買えるじゃん)、と思っていた。所得を増やす事によって金銭的な自由を確保する事を望むことが、多かれ少なかれ当たり前であると考えていた自分には理解しづらかった。

もちろん、教育や医療など現金は必要だけど、ともに生活していく中で、現金という物差しだけで豊かさというものを測るのではなく、自分で自分の人生を選択する自由を確保できるか、という尺度が重要であると感じた。政治に参加できるか、医療を受けられるか、必要な情報へのアクセスが可能か、など、それらを総合的に考慮して、評価する必要性を感じた。

例えば、セーフティネットの観点で、社会保障は乏しいが、事故で急に医療費が必要になった村人がいると、周囲の人間がサッカー大会を開いて、参加費という形で共同でお金を提供する。アメリカなんかではあるが、自分が日本に住んでいた時はまず聞いたことがない。ちなみに上のような活動は英語でfund raisingといい、日本語訳は募金に当たるようだが、いわゆる募金とは違うでしょ。募金って、街頭とかに立って、○○の理由でお金必要なんで、お金下さいみたいな。それはそれでいいと思うけど、何かを企画して、収益金を寄付って、一般人のレベルであまりやらなくないかな。

というわけで、発展する必要性は感じるが、経済的な脆弱性という意味では、都市部に住む低所得層よりも穏やかな生活をしている。

2011年9月12日月曜日

911

おそらく世界中どの国にいても、2011年9月11日がアメリカ同時多発テロから10年、という報道を見かけるだろう。 2001年9月11日、最初の飛行機が突っ込んだ時、数千キロ離れてはいたが、同じアメリカにいた。一機目が突っ込んだ時にはまだ家に居て、家の人から声をかけられて、テレビを見る。ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込み煙がたっていた。ものすごいことではあるのは頭では分かっていたが、あまりにも唐突過ぎて、実感がわかなかった。やがて授業の時間になり、大学に行く。クラスでは、始業の時間に教授が来たが、その日のクラスはキャンセルになった。その後はあまり覚えていないけど、どうしようもないので、とりあえず図書館で勉強していたように思う。 結果として、計4機がハイジャックされ、世界貿易センターに2機、国防省本庁舎に1機激突し、残りの1機は墜落した。そして、崩れないように設計された世界貿易センターは、衝突した飛行機の爆発とその影響によって、全壊した。 アメリカだけでなく世界を震撼させた事件は、アメリカ政府により、アルカイダの仕業であると断定される。そして、その後、アルカイダの指導者であるオサマ・ビン・ラディンがいるとされるアフガニスタンを攻撃。テロとは直接関係ないが、その後、アメリカは大量破壊兵器を持つとして、悪の枢軸の一国としてイラクを非難し、国連の決議なしで、イラク戦争へと踏み込む。 ブッシュ大統領の支持率が911を経て急回復したように、アメリカ国内は対テロという構図の戦争に賛成の意見が大半だった。そして、アメリカの国旗があちらこちらに翻った。一方で街角で少数ながら反戦運動をしている人もいた。 戦争が長引き、自爆テロが相次いだ事もあるのか、サンフランシスコ周辺地区では、戦争に反対している人の方が多かったように思います。一方で、アメリカで99年~2000年にかけて初めてお世話になった南部のホストファミリーの、自分より1歳年下の息子は、陸軍としてイラクのバクダット近郊の町に駐在していた。駐在中に一度メッセンジャーで話したけど、常に狙われているし、狙わなきゃいけないという環境からか、考え方が狂っているように感じた。

2011年9月2日金曜日

金と正義

以前書きましたが、村内の住んでいる家の近くの林が放火されました。原因はというと、最近、その隣りに商業目的で土地を買った都市部に住む外国人。偏見を生むのでここでは何人かは伏せますが、数ヘクタール(1ヘクタール:100m x 100m)購入し、実際に測ってみると、登記上の面積よりも1,2ヘクタール少なかったんです。そこで、その隣りの土地を確保しようと放火した可能性が極めて高いとのこと。いつだか知りませんが、登記するために土地を計測したのはずいぶんと昔で、その頃は測量の技術が発達していなかったのと、おそらく測量の正確さを確認する仕組みすらなかったと思うので、登記上の面積と実際の面積が違う事は多々あることのようです。 もちろん、放火された側としては、そんなことで勝手に自分の土地を持っていかれても困る。かといって、証拠もないので民事責任を問うこともできない。そこで、知り合いの弁護士に相談。まず、測量士が来て、問題の土地の周辺を測量。そして、法的な解釈に沿って問題を解決する意向の様子。 普通に考えれば、その外人が悪いに決まってんじゃん、となりますが、万が一相手が法廷で争う姿勢になった場合、村の人はかなり不利になるでしょう。なぜならばきっと相手の方が金を持っているから。当然、相手側の弁護士は勝算を見込んで法廷に持ち込む事を決定します。そして、法廷に持ち込まれた場合、普通、より質の高い弁護士側が勝つ。そして、弁護士の質は通常、弁護料に比例する。法律の事はよく分かりませんが、法律の解釈は様々で、どうやって自分の有利になる解釈を利用して、理論武装するかにかかると思う。それがうまいほうが勝つ。だからマイケルジャクソンも高い金払って、いい弁護士をやとったでしょう。そういう意味では、金なんです。

2011年8月30日火曜日

祭り

パラグアイに来ることが決まるまでは、自分でパラグアイを希望しておきながら、パラグアイに関してはゴール前のフリーキックを蹴りに行って焦って戻るチラベルト選手が元サッカー代表ゴールキーパーということしか知りませんでした・・・。

が、関西では9月18日に神戸でパラグアイ独立200周年記念イベントがあるらしいです。



そして、関東では10月2日に練馬区光が丘公園でパラグアイの祭りがあるようです。



ふるってご参加下さい。

2011年8月26日金曜日

真のボランティア



5日に渡って行われていたイグアス日系移住地50周年エクスポ&慰霊祭・記念式典が終わりました。雨嵐で始まり、極寒の中、ブースで木炭を焚いてなんとかしのぎました。しかも木炭の上でキムチ鍋まで作ってしまいました。



月曜日に行われた祝賀会には雨と寒さの中、800人近い人が出席したわけですが、その食事を用意するのは外注の業者でもなく、市役所でもなく、なんと日系の婦人方からなる婦人会。詳しくは知りませんが、婦人会って婦人の方々が有志で結成している団体だと思います。前日は午後中仕込みをし、別のグループが当日の朝5時から料理作りの続きをする。祝賀会の最中も足りない料理を出したり、ケーキを切ったりと、おそらく舞台裏は戦場。すごいとしか言いようがありません。



記念式典が今年のイグアスのメインのイベントではありますが、50周年という事でほぼ毎週末行事があります。行事がない週末は大雨の時か、農作物の収穫期のドドドド真ん中くらい。サッカー大会、フットサル大会、カラオケ大会、運動会、夏祭り、ラリー、バザー、コンサート、東北地震義捐金集め、etc。様々な人が自分の仕事を持ちながら、複数の行事に関わり、週末返上で会場設置したり、売店やったり、遠方の来客のために宿泊先を確保したりしています。すごいの一言に限ります。自分はボランティアという名目でパラグアイに来てますが、全然移住地の人の方がボランティアしています。全く頭が上がりません。日本では2年間住んだマンションの隣室の住人の顔すら知らずに生きていた自分は、赴任当初、人間関係の濃さにちょっと戸惑いましたが、日系の方々なしで自分のパラグアイでの生活は語れません。

日本とは地球の逆側にある移住地が制定されてから早50年。日本の文化を残していく事と、足りないものは自分達で補い、自分達の住む街は自分達でよくしていくという事を実践しています。ビバ!

2011年8月18日木曜日

久々の村

昨日首都から帰ってきましたが、また明日から街のエクスポに参加するので、今日は朝から洗濯、畑仕事、学校での講習会、蜂の世話と盛りだくさん。

洗濯をしながら、部屋の掃除、食器洗い、米とぎ、懸垂、とまるで主婦。洗濯物を干し終わると畑へゴー。300mくらいしかないけど、時間がもったいないので、バイクに乗る。途中、蜂の蜜源確保のために、種を日系の方からわけてもらった菜の花が徐々に咲き始めたのを発見。ひまわりとかに比べ、少しずつ花が咲くので、量は少ないけど、長い間もつ。



畑では、水やりと野菜の様子見。ほうれん草の生き残りは収穫まであともう一息。ラディッシュは全滅。一方で牛糞を使用した堆肥は完成。人参、レタスも自家消費用に徐々に収穫しているので、来週エクスポから帰ってきたら、近所の人と改めて空いているスペースを耕して、いろいろと植えたいです。ミミズ堆肥も久々に確認したら、大量のミミズが生まれていました。堆肥も徐々にできている様子。



写真ではミミズの大量具合が伝わらないのが残念。

昼は、ルーなしでシチューもどきを作って、学校へ。講習会といっても、政府組織が学校教育のために行う家庭菜園の講習会。自分は単なる一参加者。なかなか主催者が来ないので、その間、学校の校長室で調子の悪いプリンターをいじっていると45分遅れで到着。今日はほぼレクチャーで終わり。来週から種植えをするらしい。

その後、蜂の世話。最近暖かいので、蜂もそうとう分蜂(既存の巣から、群れを作って、新しい巣を探しに飛んでいってしまう)している様子。分蜂をされると、巣の蜂の数が激減してしまうので、越冬後の養蜂家のルーチンワークは、それを防ぐこと。それには、新しくできる女王蜂の卵をひたすらつぶす。モグラ叩きみたいなもんです。箱を開けるとやっぱり大量の女王蜂の卵が。一箱につき20個はつぶした。その間も死闘を続け、10発くらい刺される。腰のところを3枚重ねの服の上から何発も刺され、週末の4時間ぶっ通しの英語のテストの末になった腰痛が治るといいんだが(笑)

夕方は、最近近所で起きた林の放火事件の件で、うちの人が弁護士を呼んできて、なにやら居間で住民達と話をしていましたとさ。

2011年8月3日水曜日

21世紀前半の世界

アメリカ経済は、失業率を始めとして、抜本的に回復する事はなく、アメリカ・イズ・ナンバーワン、オンリーワンの時代は終焉を迎える。共和党の財政赤字削減案により、国防費が抑えられ、中東や北アフリカへの軍事的介入に消極的になる。

中国の経済的な発展は不動産バブルの崩壊や高いインフレ率を乗り越えて、世界No.1となる。しかしながら、国内の人権問題、国益重視の外交とODAは世界的に受け入れられることはなく、中国が政治的にワールドスタンダードにはならず、今のアメリカのようなポジションは不在が続く。途上国の経済成長により、穀物・鉱物資源価格は乱高下するも、底上げされブラジルの世界的地位が上がる。そして若年層の相対的・絶対的人口が高く、経済開放が更に進み、国内産業全般も堅実に成長するインドの経済もGDPで世界5位に入る。

欧州は、現在のEU加盟国のうちのいくつかが脱退を経験するが、結果としてEU圏内の経済的な問題が減り、フランス、ドイツが先陣をきってEUとして、他の地域との経済協定に力を入れる。

アフリカは、アメリカの弱体化により、というか、にも関わらず、北東アフリカ、サブサハラ砂漠地域の民族・宗教対立は続き、独裁政権に対する不満は継続する。しかしながら、南アフリカがアフリカ連盟の旗振り役となり、国連の介入よりもアフリカ連盟としての介入が増える。その過程で、イギリスやフランスが植民地時代に引いた国境線のいくつかもひきなおされる。

日本は、政府が円高介入しても、ドルが世界的に弱いので、1ドル80円を一時的に上回るがその後70円台もしくは60円台をキープする。それと同時に、ドル建て決済をしている日本のメーカーは海外の生産拠点を急激に拡大し、現地生産現地販売、近隣諸国への輸出、日本への輸入に切り替える。国内の雇用は全体的に少々減る。実態としては、サービス産業の充実で雇用が創出され、ホワイトカラーの仕事は増え、第二次産業の開発関係の仕事は横ばい、単純労働の雇用は激減。海外に移転しても、日本人のお家芸であるものづくりは継続し、一方で外人を重点ポジションに置くことにアレルギーのある日本のメーカーは、課長レベルから、日本人をどんどん海外拠点へ送り出し、彼らは海外に生活の基盤を置く。日本国内は雇用が深刻な問題になるも、決定的な政策が打ち出されず、国内の格差が広がり、富裕層はそのままで、貧困層が増える。徐々に貧困に耐えられない人々は海外へ移住する。日本の人口は減るものの国内経済は均衡する。

と、特に数字的な根拠は用いていませんが、どう思いますか。

2011年7月25日月曜日

最近の活動


菜の花畑


帰国後のことが気になる最近ですが、それはさておき、久しぶりに活動の話を。

養蜂の組織は昨年末から今年の初頭にかけて、いろいろと整えて組織っぽくなってきました。4月頃、初年度としてはけっこうとれて、まずまずというところ。今年はパラグアイ全土で蜂蜜の生産がいまいちだったのも助けて、速攻で売れていきました。そして、今はパラグアイは冬で、蜜源があまりないので、基本的には蜂蜜の生産は出来ず、週1で餌やりをする程度。

巣の大きさを縮小するために取り除いた巣枠


そういう期間を利用して、会計の仕組みを整えたり、生産計画を立てる、というようなことを企んでいました。が、現状の生産量と組織規模では、住民の必要性を引き出すことができず、結局頓挫。「必要性に迫られてからやるようでは、グローバリゼーションの荒波の中で生き抜いていくことはできない!!」ということは、一般の経済活動から半隔離されたロハスなこの村では通用しません。なので、最近は養蜂に関しては、限られた残りの蜂蜜を用いて販促を少々やる程度です。あとは蜂蜜派生商品の試作品作り。

試作品のためにプロポリスを溶解中


一方で、近所の若者と野菜作りをしています。以前に、生まれてこの方、畑仕事と言ったら小学生の時の芋ほりぐらいしかしたことがなく、野菜を植えても、雑草と野菜の芽の区別がつかないレベルと言いました。村の人の方が自分の10倍くらい野菜に詳しいんじゃないかと思います。最初は、新規野菜の導入と商業ベースの生産展開を掲げてやっていました。が、新規野菜は、今までなかった野菜だけあって、栽培が難しい・・・。白菜を植えたら、数日で虫が数百匹群がり、すごいことになっていました。商業ベースでの生産は昔やっていたけど、重労働の割にあまり儲からないので止めたらしい。

と言うわけで改めて焦点は2つ。堆肥利用の促進とパラグアイに元々ある野菜作りの多様化。堆肥作りに関しては、落ち葉と牛糞をミックスして作った通常の堆肥とミミズ堆肥を作っています。こんな感じで。

ミミズ堆肥を作る場所を確保中


通常の堆肥


ミミズ堆肥は、半無限にある牛糞をわんさか使っているので、酒池肉林状態の環境でミミズはしこたま卵を産んでいます。最近僕は、牛の糞を恐る恐る手で触れるようになりました(笑)通常の堆肥は、寒い日に切り返すとゆげがでて、白いカビが生えているので熟成はうまくいっている様子。そして、肝心の野菜に関しては、苗床と育苗箱を利用して、いろいろな苗を試し作りし、その後植え替え。今まで、白菜、キャベツ、レタス、ほうれん草、紫レタス、ブロッコリー、かぼちゃ、ピーマン、きゅうりを試しました。

苗床と育苗箱


まだまだ菜園にはスペースが有り余っていて、堆肥が足りない状況なので、どんどん堆肥を連続的に作って、試していきたいと思います。

ちなみに今週は雨でずっと出来なかった植林のために、苗木を村に運んできます。

2011年7月19日火曜日

5年前の自分の20代の計画



さて、最近ちょっと昔にまとめたWordドキュメントを見ていたら、こんなものが出てきた。

2006年1月22日(当時23歳インド現地企業勤務)
現在の夢
20代
•2-3年働き、強みとなるハードスキルを身につける
•欲しいと思ったハードスキルにさらに磨きをかけるために大学院へ行く
•国連でのインターンシップをする
•株を購入する
•フランス語を勉強し続け、ビジネスで使えるレベルまで磨く
•第四カ国語を日常会話を交わせる程度まで学ぶ
•結婚はしない
•楽器を1つ演奏できるようにする
•空手を続ける

上から順になぞると
•2-3年働き、強みとなるハードスキルを身につける
→既に5年以上働いていて、強みとなるハードスキルとは具体的に何に対する強みを想像していたんでしょう。あげてみると、金属業界の知識、国際ビジネス(輸出入手続き、規制)ノウハウ、スペイン語、グアラニ語(でパラグアイ人の関心をひきつけるのみ)。あと、実は入社時に課されて、毒物劇物も取り扱えるんです。試験会場はとがってそうな若者だらけでした。簿記も勉強したけど、「ふーん、こうやって簿記ってするんだ」ぐらいに留まる。そもそも前職は、ベタな営業と論理的に考える事が必要とされていたから、ハードよりも、結果、ソフトスキルの方が身についたのかな。

•欲しいと思ったハードスキルにさらに磨きをかけるために大学院へ行く
→20代のうちに行かない

•国連でのインターンシップをする
→していない


•株を購入する
→購入して、見事に2007年のサブプライムローンの焦げ付きと、2008年のリーマンショックにやられました

•フランス語を勉強し続け、ビジネスで使えるレベルまで磨く
→このときから1秒も勉強していない


•第四カ国語を日常会話を交わせる程度まで学ぶ
→スペイン語は日常会話できるけど、フランス語が第三ヶ国語目にカウントされないから、う~ん、どうだろう

•結婚はしない
→してない


•楽器を1つ演奏できるようにする
→楽器を手にしてもない

•空手を続ける
→パラグアイで、3週間くらい自分で教室を開いたのみ

ということで、微妙な状況ですが、時とともに自分の考えは変わるし、優先順位も変わるので、20代を反省しつつも、輝かしい30代を描きましょう。

2011年7月8日金曜日

やっと

2ヶ月くらいブログの更新をサボっている間にいろいろありましたが、基本的には奥地の村でロハスな生活をしています。

さて、ここ24時間くらい自分の中ではこのネタで持ちきりですが、やっと家にネットが付きました。これまで1年と3ヶ月間は、一週間に1、2度、20km行ったところにある日系農協にお邪魔してネットを使わせてもらっていました。そのうち15kmは土道で、「お、国道が見えてきたぞ」というところで油断して、転んで泥だらけになって、泣く泣く引き返す、ということもありました。先週なんて、一週間ほぼ雨で、雨降ると道がぐちゃぐちゃなので何もできず、ネットが喉から手が出るほど欲しかった。

で、やっと付いたわけです。付くに至った経緯は省略しますが、近くのネットプロバイダーのアンテナと村との間に丘があり、全然電波が飛んでこないので、電波をキャッチするために庭に鉄塔を建てました。その高さ20メートル。比較対象がないので、写真では全然分かりませんがけっこう高い。



村には二階建ての家すらなく、強いていうなら、10メートルくらいの木があるくらいなので、高い高い。2メートルの長さの部分をある程度ナットで止めて、10メートルくらいからは、実際に建てた後に、人が上って、2メートルごとに追加していきます。そして、パラグアイでは50メートル級のタワーでも針金で固定します。え、針金?と思うかもしれませんが、3方向から針金で引っ張り、倒れないように支えるんです。


こんなふうに

建てた翌日に見たら、すでに地面に固定していた木材が20センチくらい動いていました。さっそく補強しましたが、こんなんで大丈夫なんだろうか。すぐ近くに家あるし。でも地震もないし大丈夫なんだろう。

というわけで村で初のタワーが建ちました。近所には、アルゼンチンやスペインに出稼ぎに行っている親戚を持つ人が多いので、家の人は、skypeを通じて通話できるようにネットカフェを始めるらしいです。

2011年5月10日火曜日

ドル

さて、ネット環境が悪く、外部社会とのアクセスが限られた毎日ですが、昨今のドルの通貨価値の停滞は身にしみてきます。生活費がドルで支給されるので、圧迫されます。いっそのこと、ドルが戻るまでは日本円を現地通貨に両替して使おうかと思う今日この頃です。ただ世界のトレンドから見ると、一時的にはドルは戻るでしょうが、数年の周期で見れば、ドルは徐々に下落していくのかな、と思います。2008年以降、各国の中央銀行は、アメリカ国債の資産比率を下げて、徐々に金などの他の金融商品の購入に動いているようです。

2011年4月1日金曜日

日本人の心意気

日本人なら誰でも知っているでしょうが、日本では、被災地復興支援の一環として、サッカー日本代表対Jリーグ選抜が行われました。自分は、当日まで、このようなイベントが開かれる事は知らなく、当然パラグアイからは見れませんでした。が、後ほど、ニュースサイトで写真を見ました。もちろん出場選手の写真が大部分ですが、その中に、会場は大阪なのにベガルダ仙台のユニフォームを着て応援するサポーターがいたり、被災地の方々を励ますメッセージを書いたプラカードを持った人々がいたり、と、被災した人々をみんなでサポートしようという姿勢に感動しました。そして、試合の収益は復興にあてられるわけですが、それを除いたとしても、この試合を見た被災地の人々は勇気付けられたんじゃないかな、と思います。

日本は島国であって、狭い社会だから島国根性と言われ、閉鎖的と揶揄されますが、島国で狭い社会だからこそ、お互い助け合って生きていかなければならない、という考えになるのかもしれません。そして、今回の震災を通して、日本では当たり前かもしれませんが、物資を支給してもらうために列を作ったり、お年寄りに優先的にトイレを使わせてあげたり、精神的に疲れていても冷静に対処する日本人の姿は、世界に誇れると思います。世界基準で言ったら、このようなことは当たり前ではありません。残念ながら、倒壊した家には、空き巣が入り、スーパーは強奪され、軍隊が出動することが多いです。劣悪な環境でも、自分のことだけでなく他人のことまで考えられる日本人。日本は大丈夫だな、と思いました。一日も早い復興をお祈りいたします。

2011年3月10日木曜日

家に蜂

遠出をして、昨日家に戻ると、台所の前に蜂箱が置いてあり、蜂が入っていました。何でも、家の人が空の状態で移動させようと思っていたら、蜂の群れが入ってきてしまったということらしい。一日経っていたので、夜、箱の出入口を塞ぎ、移動させました。そして、次の日朝起きると、やけにブンブンうるさい。外を見てみると、台所の前のテーブルに蜂の群れが。通常、2km以上移動させないと、元の場所に戻ってくる可能性が高い。台所の前でもあるが、トイレの前でもあるのでなかなか困った。蜂は巣や女王蜂が近くにいなければ、刺さないとは言うものの、パラグアイのミツバチのほとんどが攻撃性の強いアフリカミツバチ。さらに顔を刺された時の痛さを覚えているので、なるべくなら近づきたくない。でも、時間が経つにつれ、どんどん数が増えていくので、とりあえず防具をつけて、ハエ退治のスプレーを巻き、一番集中している部分に蚊取り線香を置く。それでも全然集まってくるので、そのまま放置して外出しました。

夕方家に帰ってくると、まだ全然飛んでる。通常、以前から養蜂をやっている人は、全然防具を着けずに世話をするぐらい全然気にしないのだが、家の人は以前40箇所ぐらい刺されて、あやうく死にかけた経験があるので、若干怖いらしい。木屑を燻したりして、ようやく全部いなくなったと思ったら、翌日また戻ってきました。女王蜂はいないようなので、おそらく2週間くらいで全部いなくなると思います。

2011年3月2日水曜日

大豆



しばらく雨が続いていましたが、ようやく雨が途切れ、大豆の収穫真っ盛りです。パラグアイにいる日系の大農家も多く大豆作りをしています。むしろ、日本人がパラグアイに大豆を持ち込み、今ではパラグアイの主要輸出作物となりました。地球の歩き方では、イグアス移住地の日系人の家を、大豆で稼いだお金で建てた「大豆御殿」と紹介されているほど。大豆を生産しているのは大規模農家が多く、数百ヘクタール(1ヘクタール=100メートル x 100メートル)もの土地に大豆を植えている人もけっこういます。さすがにヘリコプターを使って農薬をまいたりはしませんが、見渡す限り大豆畑、なんてのはパラグアイではよく見かける光景です。たいていが飼料用として、欧米の穀物メジャーを通じて輸出されます。

今年は雨が多く収穫量は通年よりもいいみたいです。さらに大豆の国際価格が高騰しているので、期待大のようです。国際価格が高騰しているのは大豆だけでなく、穀物は全般的に高騰しているようです。というのも、中国やインドの台等で需要は増えている一方で、オーストラリアやブラジルで大きな天災があり、様々な穀物の供給がタイトになっています。加えて、欧州を初めとした様々な国での経済対策で、貨幣の流通量が増えているので、それが商品市場に流れ込んでいるから。

パラグアイの去年のGDPの伸び率は前年比約9%でしたが、今年も堅調なことでしょう。農村部はキャッサバさえ生えてくれれば別に何も問題なーいですが。

写真は、週末に近くであったカーニバルです。やっぱラテンアメリカといったらカーニバル。泡だらけになりますが、盛り上がって楽しい~!

2011年2月23日水曜日

ロハス




生まれてこのかた、ほとんどスーパーでしか野菜を見たことがなく、人参が畑に植わっていたら、人参と認識できませんでした。野菜なんて、種まいて水やれば、勝手に生えてくるもんだと思ってました。完全に農業を冒涜していました。ごめんなさい。そんな自分ですが野菜の栽培を始めました。前々から、野菜栽培の技術指導の需要があることは分かっていました。しかしながら、どのように始めるのがいいのか分からず、いろんな人の話を聞いたり、実際に畑を見に行ったりしました。そして、ようやく始めるに至りました。もちろん、野菜に関しては、そんじゃそこらのおっさんよりも基礎知識がないので、とりあえず自分でやってみて、うまくいったらそれを使って、講習会でもやろうかな、と思ってます。

そんなんで大丈夫なのか・・・。この村は圧倒的に外からの情報の流入が少なく、肥沃な土地のせいか、基本的には植えるだけで勝手に育っていく穀物類(キャッサバ、とうもろこし)に慣れています。だから、野菜作りを知っている人や本やネットを使って必要な情報を取り入れて、整理して実行していけば、素人でもいけるはず。それを証明し、説得力を持たせるために、自分でまず試してみます。

農業をやってみて早くも思うのは、あたりまえですが、自然との調和で成り立っているんだなということ。微生物の豊富な腐葉土は原生林の生えた林から持ってきます。こちらの赤土は酸性なので、中性に近づけるために、料理をするときに使う薪を燃やして出る灰を使用します。そして、そこらへんをうろちょろしている、牛、鶏、ガチョウ、アヒル、七面鳥の糞を堆肥代わりに回収します。これって一時期日本で流行ったロハスじゃないですか。

写真は、インドで働いていた時のルームメイト。ブラジル人ですが、仕事でパラグアイまで来たので、5年ぶりくらいに再会しました。めっちゃ仲良かったのと、尊敬する部分を多く持っているので、きっとまた世界のどこか出会えるでしょう。てか、ブラジルに遊びに行くぞ。

2011年2月16日水曜日

ガテン系



最近の仕事はもっぱらガテン系です。会議や講習会以外は、蜂の箱を置くための壊れた椅子の補強や、畑の掃除など。ある程度定期的に運動していたとはいえ、日本ではオフィスワークと外回りくらいが中心だったので、全然違います。炎天下の中・・・でなくてもかなり乳酸溜まります。終わってから、夕方にサッカーやバレーボールをする気力は残ってません。畑仕事した後にバレーボールしてるパラグアイ人とかすげえなと思います。でも体の疲労感はなかなかすがすがしい。住民と同じ目線に立った活動という意味では、いいのかもしれません。パラグアイ人はテレレをし過ぎて働かない、といわれるけれども、炎天下、ぶっ通しで働いていたら熱中症で死ぬでしょ。筋肉つるでしょ。

そういえば、2月の初旬はアルゼンチンのパタゴニアに行ってきました。度肝を抜くスケールの氷河と、情熱的なタンゴが印象的でした。習いたいとは思わないけど、見るのであればダンスの中ではタンゴが一番いい。後、普段とは若干違うスペイン語に接し、もっとスペイン語を勉強しなければいけないなあ、と実感しました。

2011年1月6日木曜日

謹賀新年

パラグアイといえば、サッカー日本代表が南アワールドカップで史上初めてのベスト8入りをかけて戦って敗れた国です。それと同時に、数多くの日系移住者が住む国でもあります。パラグアイに来るまでは、失礼ながら、日系人といえども、完全に心はパラグアイ人で、日本語よりも現地語が飛び交っているのかと思っていました。が、実際に来てみると、中途半端にアメリカかぶれの自分よりも、和の心を持った人々でした。

日々その恩恵を受けているわけですが、正月はクリスマスの延長のようなパラグアイにおいて、その恩恵を正月にたっぷりと受けさせてもらいました。

まず、