2011年9月29日木曜日

村の価値観


自分が住んでいる村は国道から離れていて、収入源が少ないので、赴任当初はとにかく収入源を増やそうという視点で活動を始めた。そして村の人と話をしていく中で、農畜産物を自家消費用に育て、余ったものを販売する、という人々が多いことに気付いた。「だって、売り過ぎて、自分たちの食べる分がなくなっちゃったら意味ないじゃん。」、という近所のおじいちゃんの言葉に、「うん、うん。その通りだね!」と答えながらも、(とりあえず金あれば、もっといろいろ買えるじゃん)、と思っていた。所得を増やす事によって金銭的な自由を確保する事を望むことが、多かれ少なかれ当たり前であると考えていた自分には理解しづらかった。

もちろん、教育や医療など現金は必要だけど、ともに生活していく中で、現金という物差しだけで豊かさというものを測るのではなく、自分で自分の人生を選択する自由を確保できるか、という尺度が重要であると感じた。政治に参加できるか、医療を受けられるか、必要な情報へのアクセスが可能か、など、それらを総合的に考慮して、評価する必要性を感じた。

例えば、セーフティネットの観点で、社会保障は乏しいが、事故で急に医療費が必要になった村人がいると、周囲の人間がサッカー大会を開いて、参加費という形で共同でお金を提供する。アメリカなんかではあるが、自分が日本に住んでいた時はまず聞いたことがない。ちなみに上のような活動は英語でfund raisingといい、日本語訳は募金に当たるようだが、いわゆる募金とは違うでしょ。募金って、街頭とかに立って、○○の理由でお金必要なんで、お金下さいみたいな。それはそれでいいと思うけど、何かを企画して、収益金を寄付って、一般人のレベルであまりやらなくないかな。

というわけで、発展する必要性は感じるが、経済的な脆弱性という意味では、都市部に住む低所得層よりも穏やかな生活をしている。

2 件のコメント:

  1. すごく同感です。

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  2. 生きる知恵という観点では、こちらが提供する価値よりも、学ぶ事の方が多いよね

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