2011年7月25日月曜日

最近の活動


菜の花畑


帰国後のことが気になる最近ですが、それはさておき、久しぶりに活動の話を。

養蜂の組織は昨年末から今年の初頭にかけて、いろいろと整えて組織っぽくなってきました。4月頃、初年度としてはけっこうとれて、まずまずというところ。今年はパラグアイ全土で蜂蜜の生産がいまいちだったのも助けて、速攻で売れていきました。そして、今はパラグアイは冬で、蜜源があまりないので、基本的には蜂蜜の生産は出来ず、週1で餌やりをする程度。

巣の大きさを縮小するために取り除いた巣枠


そういう期間を利用して、会計の仕組みを整えたり、生産計画を立てる、というようなことを企んでいました。が、現状の生産量と組織規模では、住民の必要性を引き出すことができず、結局頓挫。「必要性に迫られてからやるようでは、グローバリゼーションの荒波の中で生き抜いていくことはできない!!」ということは、一般の経済活動から半隔離されたロハスなこの村では通用しません。なので、最近は養蜂に関しては、限られた残りの蜂蜜を用いて販促を少々やる程度です。あとは蜂蜜派生商品の試作品作り。

試作品のためにプロポリスを溶解中


一方で、近所の若者と野菜作りをしています。以前に、生まれてこの方、畑仕事と言ったら小学生の時の芋ほりぐらいしかしたことがなく、野菜を植えても、雑草と野菜の芽の区別がつかないレベルと言いました。村の人の方が自分の10倍くらい野菜に詳しいんじゃないかと思います。最初は、新規野菜の導入と商業ベースの生産展開を掲げてやっていました。が、新規野菜は、今までなかった野菜だけあって、栽培が難しい・・・。白菜を植えたら、数日で虫が数百匹群がり、すごいことになっていました。商業ベースでの生産は昔やっていたけど、重労働の割にあまり儲からないので止めたらしい。

と言うわけで改めて焦点は2つ。堆肥利用の促進とパラグアイに元々ある野菜作りの多様化。堆肥作りに関しては、落ち葉と牛糞をミックスして作った通常の堆肥とミミズ堆肥を作っています。こんな感じで。

ミミズ堆肥を作る場所を確保中


通常の堆肥


ミミズ堆肥は、半無限にある牛糞をわんさか使っているので、酒池肉林状態の環境でミミズはしこたま卵を産んでいます。最近僕は、牛の糞を恐る恐る手で触れるようになりました(笑)通常の堆肥は、寒い日に切り返すとゆげがでて、白いカビが生えているので熟成はうまくいっている様子。そして、肝心の野菜に関しては、苗床と育苗箱を利用して、いろいろな苗を試し作りし、その後植え替え。今まで、白菜、キャベツ、レタス、ほうれん草、紫レタス、ブロッコリー、かぼちゃ、ピーマン、きゅうりを試しました。

苗床と育苗箱


まだまだ菜園にはスペースが有り余っていて、堆肥が足りない状況なので、どんどん堆肥を連続的に作って、試していきたいと思います。

ちなみに今週は雨でずっと出来なかった植林のために、苗木を村に運んできます。

2011年7月19日火曜日

5年前の自分の20代の計画



さて、最近ちょっと昔にまとめたWordドキュメントを見ていたら、こんなものが出てきた。

2006年1月22日(当時23歳インド現地企業勤務)
現在の夢
20代
•2-3年働き、強みとなるハードスキルを身につける
•欲しいと思ったハードスキルにさらに磨きをかけるために大学院へ行く
•国連でのインターンシップをする
•株を購入する
•フランス語を勉強し続け、ビジネスで使えるレベルまで磨く
•第四カ国語を日常会話を交わせる程度まで学ぶ
•結婚はしない
•楽器を1つ演奏できるようにする
•空手を続ける

上から順になぞると
•2-3年働き、強みとなるハードスキルを身につける
→既に5年以上働いていて、強みとなるハードスキルとは具体的に何に対する強みを想像していたんでしょう。あげてみると、金属業界の知識、国際ビジネス(輸出入手続き、規制)ノウハウ、スペイン語、グアラニ語(でパラグアイ人の関心をひきつけるのみ)。あと、実は入社時に課されて、毒物劇物も取り扱えるんです。試験会場はとがってそうな若者だらけでした。簿記も勉強したけど、「ふーん、こうやって簿記ってするんだ」ぐらいに留まる。そもそも前職は、ベタな営業と論理的に考える事が必要とされていたから、ハードよりも、結果、ソフトスキルの方が身についたのかな。

•欲しいと思ったハードスキルにさらに磨きをかけるために大学院へ行く
→20代のうちに行かない

•国連でのインターンシップをする
→していない


•株を購入する
→購入して、見事に2007年のサブプライムローンの焦げ付きと、2008年のリーマンショックにやられました

•フランス語を勉強し続け、ビジネスで使えるレベルまで磨く
→このときから1秒も勉強していない


•第四カ国語を日常会話を交わせる程度まで学ぶ
→スペイン語は日常会話できるけど、フランス語が第三ヶ国語目にカウントされないから、う~ん、どうだろう

•結婚はしない
→してない


•楽器を1つ演奏できるようにする
→楽器を手にしてもない

•空手を続ける
→パラグアイで、3週間くらい自分で教室を開いたのみ

ということで、微妙な状況ですが、時とともに自分の考えは変わるし、優先順位も変わるので、20代を反省しつつも、輝かしい30代を描きましょう。

2011年7月8日金曜日

やっと

2ヶ月くらいブログの更新をサボっている間にいろいろありましたが、基本的には奥地の村でロハスな生活をしています。

さて、ここ24時間くらい自分の中ではこのネタで持ちきりですが、やっと家にネットが付きました。これまで1年と3ヶ月間は、一週間に1、2度、20km行ったところにある日系農協にお邪魔してネットを使わせてもらっていました。そのうち15kmは土道で、「お、国道が見えてきたぞ」というところで油断して、転んで泥だらけになって、泣く泣く引き返す、ということもありました。先週なんて、一週間ほぼ雨で、雨降ると道がぐちゃぐちゃなので何もできず、ネットが喉から手が出るほど欲しかった。

で、やっと付いたわけです。付くに至った経緯は省略しますが、近くのネットプロバイダーのアンテナと村との間に丘があり、全然電波が飛んでこないので、電波をキャッチするために庭に鉄塔を建てました。その高さ20メートル。比較対象がないので、写真では全然分かりませんがけっこう高い。



村には二階建ての家すらなく、強いていうなら、10メートルくらいの木があるくらいなので、高い高い。2メートルの長さの部分をある程度ナットで止めて、10メートルくらいからは、実際に建てた後に、人が上って、2メートルごとに追加していきます。そして、パラグアイでは50メートル級のタワーでも針金で固定します。え、針金?と思うかもしれませんが、3方向から針金で引っ張り、倒れないように支えるんです。


こんなふうに

建てた翌日に見たら、すでに地面に固定していた木材が20センチくらい動いていました。さっそく補強しましたが、こんなんで大丈夫なんだろうか。すぐ近くに家あるし。でも地震もないし大丈夫なんだろう。

というわけで村で初のタワーが建ちました。近所には、アルゼンチンやスペインに出稼ぎに行っている親戚を持つ人が多いので、家の人は、skypeを通じて通話できるようにネットカフェを始めるらしいです。