2011年8月30日火曜日

祭り

パラグアイに来ることが決まるまでは、自分でパラグアイを希望しておきながら、パラグアイに関してはゴール前のフリーキックを蹴りに行って焦って戻るチラベルト選手が元サッカー代表ゴールキーパーということしか知りませんでした・・・。

が、関西では9月18日に神戸でパラグアイ独立200周年記念イベントがあるらしいです。



そして、関東では10月2日に練馬区光が丘公園でパラグアイの祭りがあるようです。



ふるってご参加下さい。

2011年8月26日金曜日

真のボランティア



5日に渡って行われていたイグアス日系移住地50周年エクスポ&慰霊祭・記念式典が終わりました。雨嵐で始まり、極寒の中、ブースで木炭を焚いてなんとかしのぎました。しかも木炭の上でキムチ鍋まで作ってしまいました。



月曜日に行われた祝賀会には雨と寒さの中、800人近い人が出席したわけですが、その食事を用意するのは外注の業者でもなく、市役所でもなく、なんと日系の婦人方からなる婦人会。詳しくは知りませんが、婦人会って婦人の方々が有志で結成している団体だと思います。前日は午後中仕込みをし、別のグループが当日の朝5時から料理作りの続きをする。祝賀会の最中も足りない料理を出したり、ケーキを切ったりと、おそらく舞台裏は戦場。すごいとしか言いようがありません。



記念式典が今年のイグアスのメインのイベントではありますが、50周年という事でほぼ毎週末行事があります。行事がない週末は大雨の時か、農作物の収穫期のドドドド真ん中くらい。サッカー大会、フットサル大会、カラオケ大会、運動会、夏祭り、ラリー、バザー、コンサート、東北地震義捐金集め、etc。様々な人が自分の仕事を持ちながら、複数の行事に関わり、週末返上で会場設置したり、売店やったり、遠方の来客のために宿泊先を確保したりしています。すごいの一言に限ります。自分はボランティアという名目でパラグアイに来てますが、全然移住地の人の方がボランティアしています。全く頭が上がりません。日本では2年間住んだマンションの隣室の住人の顔すら知らずに生きていた自分は、赴任当初、人間関係の濃さにちょっと戸惑いましたが、日系の方々なしで自分のパラグアイでの生活は語れません。

日本とは地球の逆側にある移住地が制定されてから早50年。日本の文化を残していく事と、足りないものは自分達で補い、自分達の住む街は自分達でよくしていくという事を実践しています。ビバ!

2011年8月18日木曜日

久々の村

昨日首都から帰ってきましたが、また明日から街のエクスポに参加するので、今日は朝から洗濯、畑仕事、学校での講習会、蜂の世話と盛りだくさん。

洗濯をしながら、部屋の掃除、食器洗い、米とぎ、懸垂、とまるで主婦。洗濯物を干し終わると畑へゴー。300mくらいしかないけど、時間がもったいないので、バイクに乗る。途中、蜂の蜜源確保のために、種を日系の方からわけてもらった菜の花が徐々に咲き始めたのを発見。ひまわりとかに比べ、少しずつ花が咲くので、量は少ないけど、長い間もつ。



畑では、水やりと野菜の様子見。ほうれん草の生き残りは収穫まであともう一息。ラディッシュは全滅。一方で牛糞を使用した堆肥は完成。人参、レタスも自家消費用に徐々に収穫しているので、来週エクスポから帰ってきたら、近所の人と改めて空いているスペースを耕して、いろいろと植えたいです。ミミズ堆肥も久々に確認したら、大量のミミズが生まれていました。堆肥も徐々にできている様子。



写真ではミミズの大量具合が伝わらないのが残念。

昼は、ルーなしでシチューもどきを作って、学校へ。講習会といっても、政府組織が学校教育のために行う家庭菜園の講習会。自分は単なる一参加者。なかなか主催者が来ないので、その間、学校の校長室で調子の悪いプリンターをいじっていると45分遅れで到着。今日はほぼレクチャーで終わり。来週から種植えをするらしい。

その後、蜂の世話。最近暖かいので、蜂もそうとう分蜂(既存の巣から、群れを作って、新しい巣を探しに飛んでいってしまう)している様子。分蜂をされると、巣の蜂の数が激減してしまうので、越冬後の養蜂家のルーチンワークは、それを防ぐこと。それには、新しくできる女王蜂の卵をひたすらつぶす。モグラ叩きみたいなもんです。箱を開けるとやっぱり大量の女王蜂の卵が。一箱につき20個はつぶした。その間も死闘を続け、10発くらい刺される。腰のところを3枚重ねの服の上から何発も刺され、週末の4時間ぶっ通しの英語のテストの末になった腰痛が治るといいんだが(笑)

夕方は、最近近所で起きた林の放火事件の件で、うちの人が弁護士を呼んできて、なにやら居間で住民達と話をしていましたとさ。

2011年8月3日水曜日

21世紀前半の世界

アメリカ経済は、失業率を始めとして、抜本的に回復する事はなく、アメリカ・イズ・ナンバーワン、オンリーワンの時代は終焉を迎える。共和党の財政赤字削減案により、国防費が抑えられ、中東や北アフリカへの軍事的介入に消極的になる。

中国の経済的な発展は不動産バブルの崩壊や高いインフレ率を乗り越えて、世界No.1となる。しかしながら、国内の人権問題、国益重視の外交とODAは世界的に受け入れられることはなく、中国が政治的にワールドスタンダードにはならず、今のアメリカのようなポジションは不在が続く。途上国の経済成長により、穀物・鉱物資源価格は乱高下するも、底上げされブラジルの世界的地位が上がる。そして若年層の相対的・絶対的人口が高く、経済開放が更に進み、国内産業全般も堅実に成長するインドの経済もGDPで世界5位に入る。

欧州は、現在のEU加盟国のうちのいくつかが脱退を経験するが、結果としてEU圏内の経済的な問題が減り、フランス、ドイツが先陣をきってEUとして、他の地域との経済協定に力を入れる。

アフリカは、アメリカの弱体化により、というか、にも関わらず、北東アフリカ、サブサハラ砂漠地域の民族・宗教対立は続き、独裁政権に対する不満は継続する。しかしながら、南アフリカがアフリカ連盟の旗振り役となり、国連の介入よりもアフリカ連盟としての介入が増える。その過程で、イギリスやフランスが植民地時代に引いた国境線のいくつかもひきなおされる。

日本は、政府が円高介入しても、ドルが世界的に弱いので、1ドル80円を一時的に上回るがその後70円台もしくは60円台をキープする。それと同時に、ドル建て決済をしている日本のメーカーは海外の生産拠点を急激に拡大し、現地生産現地販売、近隣諸国への輸出、日本への輸入に切り替える。国内の雇用は全体的に少々減る。実態としては、サービス産業の充実で雇用が創出され、ホワイトカラーの仕事は増え、第二次産業の開発関係の仕事は横ばい、単純労働の雇用は激減。海外に移転しても、日本人のお家芸であるものづくりは継続し、一方で外人を重点ポジションに置くことにアレルギーのある日本のメーカーは、課長レベルから、日本人をどんどん海外拠点へ送り出し、彼らは海外に生活の基盤を置く。日本国内は雇用が深刻な問題になるも、決定的な政策が打ち出されず、国内の格差が広がり、富裕層はそのままで、貧困層が増える。徐々に貧困に耐えられない人々は海外へ移住する。日本の人口は減るものの国内経済は均衡する。

と、特に数字的な根拠は用いていませんが、どう思いますか。