2012年1月29日日曜日

事故


さて、協力隊は当然ながら、いわゆる途上国に送られるわけであって、チューリッヒやニューヨークに送られるわけではない。そして、当然ながら途上国は様々な面で危険が存在する。経済的な格差、インフラの不備、未発達の医療、必要な教育の欠如、ガバナンスの脆弱性、不安定な政治、整備不良の乗り物などによる犯罪、事故、デモ、ときりがない。これらは相対的なものであるが、世界有数の安全な国日本と比べると、その違いがより顕著になる。

そんな中、活動している協力隊。協力隊を管理するJICAは、うるさいくらい安全・健康に敏感に注意を促し、規則を設けている。たぶん多国間・二国間援助機関の中でも、かなり高い安全・健康基準を設けていると思う。それでも、年間千数百人を派遣しているので、どうしても事故や病気が発生してしまう。

やっぱり自分の周りにも事故に巻き込まれて、緊急輸送されてしまった隊員がいる。もちろん本人にとってはとても悲しい出来事だが、それ以上に両親にとってはもっと悲しい。自分の子供が、見知らぬ国に、その国の人のために役に立ちたいと思って、志願したのに、変わり果てた姿で戻ってくる。行き場のない悲しみに打ちひしがれ、怒りさえこみ上げてくるかもしれない。



そして、あと少しで2年が経つわけだが、この2年間で多くの悲しい出来事があった。その中でも身近に接していた人が亡くなったことがとても悲しかった。昨日まで普通に接していた人に、もう会うことができない。笑っているところも見れない。もちろん人間生まれてきたい以上いつかは死ぬわけだけれども、突然で早すぎる死。残された家族の嗚咽が胸に突き刺さった。

結局自分が途上国の開発の道に進むのはこういう状況を少しでもなくしたいからだ。援助にむらがる受益者や委託業務先、非効率な事業や失敗事例。一方で、直接的な利益の見えないODAの削減や日本国内の災害による緊急事態などを目の当たりにし、自分の気持ちが揺らいだこともあった。

しかし、原点に戻ると、その思いは単純で、できる限り人が悲しい場面に遭遇する場面を減らし、嬉しいと思える場面を増やす、ということだと思う。もちろん、それはとても多くの方法で実現可能で、一般企業においても実現可能だろう。だけど、時間の限られた人生において、やっぱりそれに直接的に関わりたかった。しかも、できるだけ高いレベルで。やっぱり営利事業体ではなく、基本的には援助団体が自己資金だけで運営していくことは無理だろう。でも、だからといってそれを当たり前と考えるのではなく、むしろ自分で稼いでいないのだから、誰もが有無を言うことのできないほどの最高水準の質で仕事をしたい。そして、いつ独立してもやっていけるだけの能力とマインドを持って、仕事に取り組みたい。

そうでなければ、人を助けたい、だとか、社会をよくしたい、っていう理想は単なる絵に描いた餅で、仕事としてすら成り立たない。


2 件のコメント:

  1. 2年間で自身の原点をしっかり築かれたようですね。次のチャレンジも楽しみにしてます!

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  2. たQさん、そうですね。たQさんの話もまた機会があったら聞かせてね。

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