2012年12月21日金曜日

印度


自分にとって、インドという国はたくさんの宝をもたらしてくれた。よくインドは一般的に好きな人と嫌いな人に分かれる、というがそんな次元ではない。そのインドでの出来事。



元々インドで働いていたこともあり、日本の商社時代はゼロからインド開拓を期待されていた。そして、インド出張時。40℃を超える猛暑の中、クライアントとのミーティングの帰り道。オートリキシャ(タイのトゥクトゥクみたいな乗り物)に乗って、信号待ちをしているときのこと。物乞いの子供が寄ってきて、お金をせがんでくる。インドではよくあることで、基本的には彼らを物乞いに依存させる、という考えが自分の中にあるので、お金は出さない。きりがないし。その子供(たぶん8歳前後)は、膝から下がなかった。でも、お金はあげずに、通常通り完全に無視した。否定もせず無視をしていると、通常立ち去るから。しかしながら、その子はしつこくお金を求め、自分の太ももの上に顔を載せてせがんでくるではないか。さすがにたじろぎ、止めるように体を起こそうとするが動かない。その間も、泣くような声でせがんできた。徐々に、複雑な気持ちになってきたときに、信号が変わり、その子も諦め、リキシャも走り始めた。その後、とてもネガティブな気持ちになった。

インドでは、貧しさゆえに子供の脚や腕を切断して、物乞いさせる、ということも聞いたことがあったが、それはどうでもいい。猛暑の中、ほとんどお金をもらえず、もらえたとしても微々たる額なのに、それでも物乞いをせざるをえない。一方で、自分は不自由なく高等教育を受けさせてもらい、スーツを着て、数日の出張が終われば、また日本に帰る。日本に帰れば、友達と飲みに行くこともできるし、旅行に行く事だってできる。とてもではないけど、その違いが自分の努力した結果だとは思えない。逆に、自分がその子供と同じ環境で生まれ育てば、きっと同じことをせざるをえないんだと思う。その生活に希望はあるのだろうか。

昔、世銀の人が、「開発の目的は貧困国に希望を与えることだ」と言っていた。その考えには、同感で、希望があるから毎日が楽しいんだし、希望があるから嫌なことも乗り越えられる。希望のない生活には何があるんだろうか。ドイツの強制収容所から生還したヴィクトル・フランクルが「夜と霧」の中で書いていたが、生存した人々は必死に収容所の中で小さなジョークでお互い笑い、意識的に朝日に希望を見出していた。逆に、絶望しか見えない人は、どんなに拷問されても、動くことを止め、結果として死んでいったそうだ。

そんな生きるための原動力ともいえる希望をより大きな規模で実現可能にするために、州や国家レベルのプロジェクトに関わりたいと思い、現在勉強している。理論やコンセプトが多く、しばらく草の根の現場経験をしたせいか、一歩下がって一部の事象から俯瞰的に物事を捉えることに苦労する。限られた時間の中で、いい訓練になっていると思う。しかしながら、何歳になっても、常に最前線の受益者のリアルな声というものを忘れることなく仕事をしたいと思う。なぜならば、そういう人々に希望を与える以上に、自分が生きる原動力をもらっているから。

30代に突入したからこそ、改めてきれいごとを現実のものとして直視し、実現できるということを証明したい。

0 件のコメント:

コメントを投稿